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vol.193 東日本大震災 ボランティア 特別手記
ここ10年以内で日本でこんなことが起こるのか?という事を実感させられた出来事NO.1はやはり、東日本大震災だと思います。
これは忘れもしない異常気象、天変地異、いろいろ言葉で表すには表現できない事でした。
ちょうど3.11その時清水の山の中でスプリンクラーの設備の仕事をしていて何も知らずに夕方麓に降りると・・・東名高速道路が封鎖されていて会社に戻ることが出来ない???というような騒ぎでした。
なんとか下道などを使って会社のある浜松へ夜遅く戻ることが出来ましたが、車の中のラジオでは良く被害の大きさが分かりませんでした。

参加された方 多数
◆弊社
◆鈴木バラ園芸 他 

それからは皆さんが知る報道の通りです。あまりにも衝撃的で自分では何かできないか?会社として何かできないか?という繰り返しの日々でしたが、だんだん普通のニュースが取り上げられる事が増えてきた1か月半経ったGW直前の休みにボランティアに行くことになりました。
ボランティアといってもネットのつながりで緑に関わる物資を届けるという事でした。
あちこちから繋がりで当社に届く物資を代わりにお届けしようということでしたが、まだ食事もままならぬ供給体制で緑なんて持ってっていいのだろうか??というような議論も出ましたが、そういうときこそ癒しでは?という持論もあり、お届けすることになりました。

とにかく載せれるだけ載せて沢山の方々の思いを届ける事考えればそんなに重くないという事です。
プランター、鉢等があればたくさんの園芸培土、載せれるだけ載せてーって感じでした。

生活用品も物資の中に送られてきました。

肥料や園芸資材

バケツにスコップ

他にも掲載できませんが、たくさんの物資です。もちろん花苗もありましたし、散水器具、種、等々素晴らしい物資でした。協力していただきました皆様に感謝です。
絵葉書に寄せ書き等もいただきましたし、皆さんの応援のお言葉もいただいてボランティアが無事たどりつくか心配でしたが、出発致しました。

何しろ東北は行けども行けども関東から東北は長い長い。東北自動車道の距離の長さを痛感しました。
しかし、ボランティアで進む車はたくさん夜通し走ってました。

SAでも止まる場所がないくらいボランティアや救援物資を運ぶ車でいっぱいです。朝方も止まらず走ってました。

宮城県仙台市に入るとそろそろ地震の後の気配が見えてくるのかな?なんて思っていましたが・・・全然そんな気配が見えません。一か月半経ちましたので復旧されたのかな???と思ってしまいました。
やはり一番最初に復旧するのはインフラですからね。

宮城県石巻市を目指して行ったのですが、、なかなかたどり着かないのは遠い地だからなのか・・テレビをみた光景はあまりなく被害がなかったんじゃないか?くらいの平和な暮らしをしていました。。
そうすると、突然ガレキが道の脇に溜まっている物がつながって出て来ました。

そうこうするうちに、他のボランティアの方々が歩いているのが見えて来ました。
若い人たちでチームを組んでいる感じであちこち見えて来ましたが、もっとひどい場所を目指して歩いている感じです。

だんだんガレキの積んでいる量が増えたり、置いてある間隔が狭くなってきました。
家は普通に建っているのです。つまり津波被害がなければ大きい地震であったということです。
プラス津波があったので被害が大きかったのだと思われます。

だんだん道がガタガタになってきたことと、信号が機能しなくなってきています。でも外から見る限り住む事は出来そうです。

だんだん進んでいくとテレビで見ていた光景になってきました。こうなってくると街が機能していないということが分かってきます。
そもそも道や川を渡ると急に別世界になった感じです。住む事も出来ないし生活自体ままならぬ感じです。
テレビではとても感じ取れない事が逆に見えて来ました。

川が氾濫して何キロ上流にあったものが流されて橋にもたれかかっている状態だそうです。
こんながれきになると撤去も個人でどうのこうのってわけにはいきません。

旧北上川の中州にある石ノ森萬画館が見えて来ましたがヒドイ状況です。

川下へ下れば下るほど酷い有様です。

橋を渡ると別世界のように電柱がもぎ取られてたり道路がめくれていたりとすごい酷いですね。。

住宅も流されて隣にぶつかってたり、車はひっくりかえってたりと正直テレビでも報道できない様子でした。

車が一度洪水で浮いて上に上がった状態で車がどこかにひっかかって身動きできなくなって洪水がひいてしまうとこのように宙に浮いた状態になります。この光景が至る所にありました。これを引き上げるという事すらなかなか出来ないみたいでした。

このような瓦礫状態になりますといくらボランティアがいたところで一つ一つが重たすぎて人の手じゃ扱えません。

インフラが寸断されているので食事は救援物資で水道水はもちろんないのでどこからか持ってきているみたいでした。

簡易給水タンクです。これも弊社で扱っていましたのでこのようなところで活躍するんだなと・・思いました。
災害時に使用できるのですが・・使わなければいけない惨事になるというのもなかなか想像出来ません。

市役所もダメになり他の場所を借りてたみたいです。


本題の緑の救援物資です。沢山の苗を持ってきたのであちこち飾ってもらおうと現地のゴーディネーターにお願いしました。

被災者様に聞いたらこういうのが欲しかったと感謝されました。出来ることを精一杯やらせていただいただけです。
みんなが少しでも気が楽になればと・・思った次第です。

花苗はいっぱい持ってきましたが植えてしまえばあっという間です。
みなさんの喜ぶ顔がみれて遠くまで来た甲斐がありました。

被害の大きかった石巻港のそばの中学校。

建物がしっかりしている場所には自衛隊など車がグランドに占拠している感じでした。

本来なら学ぶ場所ですが、避難地になり沢山の方が生活しておりました。

はやく皆さんが復興出来ること祈ってます。

走る場所走る場所川沿いはがれきがたくさんありました。一度水に浸かったものは使えないという事もありますのでみなさんボランティアの力を借りて外に出していました。

酷い有様です。瓦礫が20年分という話を聞いて全国の焼却炉を使用しないといけないのかなと思いました。
その後テレビであちこちで負担するということ聞いて少しホッとしました。

震災後に何度も小地震がありその後崩落した場所です。こういう事が頻繁に起こると済む場所がなかなかありません。

石巻から海沿いを走って帰りました。ずっと瓦礫の道が続きました。

瓦礫の山というかゴミの山ですね。。

車や家が流されてきた様子がずっと続きました。

ボランティアに言ったGWの後に寄らせていただいた被災者からお礼のメールと画像が届きました。
このように飾りましたよーということでした。あれから5年みなさんお元気にしているでしょうか?
復興もなかなか時間かかるものです。またみなさんにいつかお会いできる日があれば嬉しいです。


  平成23年 4月
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